この間、長い付き合いの友だちと話していて、
何度か「拠点」の話になった。
国際的に動くとしてもどこか拠点になる場所が必要。
拠点があればそれを中心にして人脈もできるし、
なにより「帰る」場所ができる。
「帰る」場所があると外に出ていても精神的に楽だしね。
ここ数年は拠点候補をロンドンにしようと思ってきた。
大学院に進むとき、ロンドン長期滞在(3年以上)は見込んでた。
ただ単に前にいったときに、ここなら住めると自信があったから。
ま、そんな自信なんかで、住める場所が決められたら人生楽なんだけど、
ロンドンは私の分野の仕事ってほとんど外国人には回ってこないからね。
でも労働許可のビザがとりやすいのは、やっぱり魅力的。
その辺アメリカは厳しすぎるから、拠点としては考えられない。
でも、ロンドンをあきらめつつあるいま、色々考えると
いまは、まだ拠点を選ぶことはできないかな、と。
やりたい方向性が決まらないから。
進みたい方向が決まらないと他は何も決められない。
あと数年ふらふらするか、
日本にもどって大学院に行くか・・・。
hmm。
Thursday, 24 September 2009
Wednesday, 23 September 2009
新ユネスコ事務局長
http://www.asahi.com/international/update/0923/TKY200909220277.html
ブルガリアの元外相のイリナ・ボコバさんが選ばれた。
就任決定はユネスコで承認されてからだけれど
エジプトのホスニ文化相が選ばれなくてよかった、と
とりあえず安心。
ずいぶん前からホスニ、次期ユネスコ事務局長か、っていわれてた。
ホスニさんがどうの、というよりエジプトの教育や文化の政策、異文化の扱われ方が
いまいちユネスコの理念(理想)と合わないような気がしてた。
とはいっても文化についてならともかく、エジプトの教育についての現状を良く知らないから
そんなこといっちゃいけないかもしれないけどさ。
ボコバさんがどんな人だかよくわからないけれど、
ユネスコがヨーロッパ偏重にならないといいな、と思う。
ちなみにあの有名なエジプト考古庁長官のザヒ・ハワスは任期満了で来年引退だけれど、
このホスニのあとに文化相になるのかなぁ、ってうわさ。
ブルガリアの元外相のイリナ・ボコバさんが選ばれた。
就任決定はユネスコで承認されてからだけれど
エジプトのホスニ文化相が選ばれなくてよかった、と
とりあえず安心。
ずいぶん前からホスニ、次期ユネスコ事務局長か、っていわれてた。
ホスニさんがどうの、というよりエジプトの教育や文化の政策、異文化の扱われ方が
いまいちユネスコの理念(理想)と合わないような気がしてた。
とはいっても文化についてならともかく、エジプトの教育についての現状を良く知らないから
そんなこといっちゃいけないかもしれないけどさ。
ボコバさんがどんな人だかよくわからないけれど、
ユネスコがヨーロッパ偏重にならないといいな、と思う。
ちなみにあの有名なエジプト考古庁長官のザヒ・ハワスは任期満了で来年引退だけれど、
このホスニのあとに文化相になるのかなぁ、ってうわさ。
Sunday, 20 September 2009
落書き
「三十三間堂の壁にベニヤ板・・・」
「落書きを防ぐため・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000082-yom-soci
古い木造の建物の壁に落書き・・・ということは
壁の表面に誰かの名前とかが書かれていたのではなくて、
壁に傷をつけて落書きをされてしまったのだろうな。
文化財管理で、頭の痛い問題。
落書き。
文化財に名前や言葉を彫る/書く行為。
以前に日本人修学旅行生がイタリアで落書きして、
指摘されて、謝罪したことがあった。(情けない・・・)
外国を訪れて、その国の人が大切にするものを傷つけることは、
旅行者としてしてはいけないこと。
そういう気持ちは、やっぱり自分の国の文化財を大切にしようと
思う心からはじまると思う。
一人一人の、その大切にしたいという気持ちは、
次に訪れる多くの人にも伝わるはず。
文化財の保護管理は、そういう人の心を頼りにしてる。
「ここに来た記念に!」とかいう、
落書きは軽はずみな気持ちでできてしまう。
でも、その軽はずみな行動は二度と消せない。
「歴史」と「文化」に消えない傷。
その重さ、すこし考えて欲しい。
「落書きを防ぐため・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000082-yom-soci
古い木造の建物の壁に落書き・・・ということは
壁の表面に誰かの名前とかが書かれていたのではなくて、
壁に傷をつけて落書きをされてしまったのだろうな。
文化財管理で、頭の痛い問題。
落書き。
文化財に名前や言葉を彫る/書く行為。
以前に日本人修学旅行生がイタリアで落書きして、
指摘されて、謝罪したことがあった。(情けない・・・)
外国を訪れて、その国の人が大切にするものを傷つけることは、
旅行者としてしてはいけないこと。
そういう気持ちは、やっぱり自分の国の文化財を大切にしようと
思う心からはじまると思う。
一人一人の、その大切にしたいという気持ちは、
次に訪れる多くの人にも伝わるはず。
文化財の保護管理は、そういう人の心を頼りにしてる。
「ここに来た記念に!」とかいう、
落書きは軽はずみな気持ちでできてしまう。
でも、その軽はずみな行動は二度と消せない。
「歴史」と「文化」に消えない傷。
その重さ、すこし考えて欲しい。
Monday, 7 September 2009
ルクソール -開発-観光-住民
さて、たまには、私のやってることに関連することを・・・。
このニュースはかなり衝撃だったので。
この写真、前回ルクソールにいったときの写真。
2009年3月。
この建物、もう存在しない、のである。
取り壊し計画が公になってから、国内外で議論になり、
エジプトの(地方?)裁判所は取り壊し計画の中止を命令した。
にもかかわらず、壊されてしまった。
せめて移築して遺すことができたはずなのに・・・。
一度失った文化遺産は二度と戻らない。
エジプトの文化遺産を保護しながらも、人々の生活向上につながる遺跡管理をしていきたいと思っている
文化遺産関係者の一人として、このニュースはかなり衝撃をうけた。
なにもできなかったかもしれないけれど、なにもしなかった自分・・・。
次は、なにか行動しなければ、と思う。
似たような次がエジプトであるだろうと予想しないといけないことも悲しい。
エジプト、といえば誰もが「ピラミッド、スフィンクス、ミイラ、ツタンカーメン」を想像するのだろうと思う。
でも、5千年以上のエジプトの歴史のなかで、「古代エジプト」と呼ばれる時代は、その半分、2500年くらいでしかない。文化面だけでみても、「古代エジプト」時代が終わったあとは、ローマ帝国の支配、原始キリスト教(コプト教)の広がり、イスラムの王朝時代、オスマン帝国、イギリスの植民地、独立と多様な歴史と文化がエジプトの社会を豊かにしていて、現在残っている文化遺産からもそれはみてとれる。
もし「古代エジプト」以外にエジプトに歴史があるとしっかり認識しているのなら、エジプトに存在するいろんな文化に気がつくはず。
エジプトという、開発途上国にとって観光は大きな収入源。
観光業に従事する人は、ものすごくたくさんいる。
小さな子どもたちも大人に負けないたくましさで
外国人観光客にお土産を売っていたりする。
エジプトに訪れる観光客にとって、そして、国内を旅行するエジプト人にとって、旅行の目的は多くの場合「古代エジプト」の遺産を巡ること。(近年、エジプト政府が力をいれている紅海沿岸のリゾート地が目的の人も爆発的に増えてはいるけれど)
エジプトのそれ以外の歴史や文化は「古代エジプト」ほど知られていない。
エジプト政府は、観光開発に積極的に投資している。
特にこの5年ほどは過剰とも思われるような熱の入れよう。
豊かになるために。
どこの国にだって、誰にだって豊かになる権利はあるし、
そのために行動することは当然だと思う。
でも、
その犠牲となっているのが、エジプトの人々と文化遺産。
ルクソールはその典型的な例。
ルクソールはナイルを挟んで東岸、西岸にわかれていて、
そのどちらにも有名な遺跡がたくさんある。
(ちなみに今回の建物は東岸にある)
政治・経済などの中心である首都カイロと違い、
ルクソールは観光の街。
そんなルクソールでは今、観光・都市開発が大規模に行われている。
この開発が、大規模で犠牲的すぎる。
ルクソールには人が住んでいる。
親子何代にもわたって住んだ家で生活している人たちがいる。
歴史がつくりあげてきた街並みの中で暮らしている人がいる。
当然だよね。
三千年以上もルクソールはエジプトを代表する都市なのだから。
それを無視するかのように、ルクソール市は、
住民に代々受け継いだ家を離れ、
街の中心(=観光業の中心=失業)から離れた場所へ立ち退き、
強制移住をせまっている。
多くはもう移住させられた。
反対運動では怪我人がたくさんでた。
移住を拒否した人。
家にはまだ人が中にいるのに
ブルドーザーで壊されたと聞いた。
(なかにいた住民は無事だったらしい)
ただでさえ少ない病院も取り壊され、
モスクや教会も2つの古代の神殿を結ぶルートにあるからといって
取り壊されることになっている。
目的は・・・。
古代エジプト・ルクソール野外博物館(Open Air Museum)
をつくりあげること。
そして、外国人観光客がエジプトに悪いイメージ(貧困など)をいだかないために街を視覚的に「きれい」にすること。
見た目には気持ちのいい、古代エジプトの文化を主役にした
「人工的な」歴史都市をつくりあげようとしている。
エジプトでは、『文化遺産マネージメント=観光開発』
と間違った受け止めかたをしている傾向が、文化関連の政府上層部の人たちにまで広がってる。
ある遺跡の保存管理プランには、遺跡が都市開発の犠牲になっていて、さらに違法に掘り返されている関わらず、遺跡の保存自体には何も触れずに、「チケット・オフィスとトイレを設置する必要がある」と書かれていてびっくりしたこともある。
「古代エジプト」の部分だけ切り取って、街全体を博物館に。
「古代エジプト」の歴史遺産のためだけの博物館計画。
そこに住む、いまを生きる人が犠牲になるだけでなく、
それがどれほどの「それ以外」の歴史遺産の犠牲を必要とするかという議論の象徴になったのが、先週取り壊されたナイル川沿いに立つ2つの建物。
ルクソールでは残り少ない植民地時代の建物。
(確かに植民地時代という、エジプトの人々にとって、ネガティブな歴史時代の遺産を残したくないという考えが背景にあるのかもしれないけれど、でもルクソールの場合、どう考えても観光=お金が目的、とわかりやすすぎるくらい前面に出てるから、ネガティブな遺産とか考えなかっただろうな)
活きた街の「ディズニーランド化」。
この状況はみていてつらい・・・。
取り壊される歴史的な建物。
そこに住む人々の生活。
特にターゲットになる人々が、貧困層の人だったりするので、さらにつらい。
文化遺産関係者として、私は何ができるのかな・・・?
観光客としてエジプトを訪れるときは、
ちょこっと、エジプトの「古代」以外の歴史と
いまを生きるエジプト人についても
考えて欲しいな、と思う。
・・・そういうことを知らせるのが私の仕事の一部なんだろうな、
と思う。
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